20141016

告白します。私はGoogle様の手先です。Google様のお陰で「賢い人」だと思われています。もしかしたら私のことを何でも知っている人間だと思っている人も居るのではないでしょうか。って、いないかそんな人。

私のものしりイメージはGoogle様のおかげ

私がGoogle様の手先になって早いもので数年の月日が経過しています。Yahoo!と比べて味も素っ気もないころから「シャレオツIT起業家はみんなGoogleらしいぞ」という波に乗ったのがきっかけです。

私は、みるみるうちにGoogle様の虜になりました。

何でも調べられる。そして、とにかく便利。便利。便利。

クライアントから質問を受けたとき、今までは頭で考えていました。そのため当時は情報精度がそれほど良くなかったかもしれません。でも、Google様と出会ってからの私は生まれ変わりました。

情報を検索するための学習を積み、どうすると多くの情報を収集し、取捨選択できるか自己流ですが確立しました。そして、そこまでのスピードもかなり向上できています。

この結果、何が起きたか?

人から分からないことを聞かれるようになった!

何でもかんでも聞かれるようになりました。私はGoogleで検索するのがただ上手なだけなのに「なんでも知っている人」みたいに扱われ始めました。

世間では今でも、インターネット検索が得意な人を「物知り」と呼ぶようです。でも、私は自覚しています。「これは、頼りにされているわけではない、ただ便利なだけだ」って。しかし、ずっとこういう役割を継続することで人の目は変わってきます。私のいう人間の強みが認知されたということです。

ただ、検索するのが上手くて早いだけですけど(笑)

「しかたない」が2種類あることに気づいた

ある時、頼まれた調べ物をどれだけ検索しても分からなかったので、その旨をお知らせすると、クライアントから言われました。

「そっか、でも林さんが分からないなら仕方ないね」

え?元々自分の頭にその知識はなくて、インターネット上にある情報を見つけられなかっただけなんですけど。そして、僕というよりGoogleなんだけど。

この瞬間に、工具を使って巧みに靴をつくる職人の姿が思い浮かびました。そうかGoogleも道具だ。これを使いこなしているということは、頼りにされるべきことなんだ。

私は子供の頃、リーダーシップを執る人間では無かったので、「そっか林か…なら仕方ない」みたいな言われ方をよくされてきました。

そして、やっと私は「しかたない」という言葉に2種類あることが分かったのです。

  • ダメだって分かっていて、やっぱなときに使われる「しかたない」
  • 優秀な人間が頑張ったけど、成果が出なかったときに使われる「しかたない」

私はいつしか、ダメなやつからいい方に変わることが出来ていたようです。一度「誰々だから仕方ない」ってちょっと言ってみてください。

余談ですが、こういうときに「誰々」のところは「佐藤さん」とか「良基さん」とか身の回りの知人を当てはめて欲しいのに、「だれだれだからしかたない」ってそのまま言っちゃう人いますよね?そういう人あんま好きじゃないです。はい。余談でした。

頭の中に誰が浮かびましたか?まぁ「佐藤さん」にしましょう。独立してたら、佐藤さんっていう知り合い一人くらい居るでしょ?

「佐藤さんだからしかたない」

どうですか?誰のどんなシチュエーションが思い浮かびましたか?私はパパっと3名ほどの佐藤さんが思い浮かびましたが、いずれも良い印象の方です。例えば

「仕事が早い佐藤さんでダメならしかたない」みたいな。これ、佐藤さんじゃなきゃもっとダメってことですからね。そしてダメでも腹を立てることもなく、諦めがついたって感じですよね。ステキ。

悪い意味での「しかたない」を「おいしい」と思う人は甘えない方がいい

悪い意味で「しかたない」といわれる人の多くは、 いじられキャラや愛されキャラです。この方々は「しかたない」という言葉の本当の意味を知らず、「しかたない」とかその他の軽口を「おいしい」と思ってしまう可哀想な人達です。

恐らくお笑いブームに乗って「上島竜兵氏」やもっと若手の弄られポジションのマネをしているだけだと思いますが、向こうは仕事ですからねぇ。プライベートは絶対あんなじゃないし、人望もありますから。

軽口を「おいしい」と思ってしまう人は、ぜひその甘えがいつまでも通用すると考えないでください。私も先日ありましたが、「そういうキャラ」が通用するのも限界があります。そして、甘やかされることに慣れた人間は謝ることをしりません。そうなるとリレーション・ジ・エンドです、OMG。

いい意味での「しかたない」は要所を押さえているということ

要所を押えるとはどういうことでしょうか?例えば、あなたは学生で、教室の中でトランプをしてる友達グループがいます。トイレから戻ると、彼らはなぜかしょんぼり。理由を聞くとどうやら先生から「ダイヤのA」「クラブのキング」など4枚のカードを没収されたそうです。

(さすが先生、ゲームを陳腐化する要所を抑えてる。遊べないことはないけど、カードが揃っていないとなんだか気持ち悪いし、つまらない。やる気が削がれます。新たに買う気にもなれない。これが年季の違いってやつか)

でも、大丈夫。私は頼りになる男。全く同じトランプを持っている。没収された4枚を補充し、友達にこう言います。

「さっき没収されたカードじゃなきゃ、補充できるから何かあったら、また相談してね」

めでたく、私は一目置かれ、仮に先生がまた「ダイヤのA」を没収しても「前に言ってたもんね、それじゃあしかたないか」と自分がガッカリされることもありません。

よし、具体論を教えろ!

まず、こういう教えてスタイルがダメですよね、私のクライアントでもあるまいし(笑)

ってのは冗談ですが、人の要所を押えるというのは、中々困難なことです。だってそこにビジネスチャンスが眠っているわけですからね。

最初にすべきは、「人に便利を与え、それを日常にすること」でしょうね。まさにGoogle流(笑)

その便利が、こちらの工数があまりかからない、とかサービスが標準化できるなら「ストック型ビジネネス化」もできそうですね。便利を一度味わうと「それがなかったことに我慢ができなくなる」のが人間です。私はこういう考えではありませんが、相手の要所を押える黄金律として知られているものですね。

自分という商品がクライアントに便利と思われる。その後、居ないと困る存在になる。この状態で良い意味の「しかたない」という言葉が聞けるようになります。でも、私たちはそこで止まってはいけません。

便利を超えたなにか

私たちは「便利な存在」で留まらず、クライアントにとって便利を超えた何かを提供しなければなりません。Googleやその他道具の変わりで良いのか?字を書くと手が痛くなるしめんどくさいから代わりにやって程度の存在で良いのか?ということですね。

最終的に、便利を超えた存在として私が考えているのは「私が居なくても大丈夫な状態になる」ということです。会社員時代からずっと思っていた「自分が居るから回る組織なんてダメ」というポリシーは今でも持ち続けています。これが仮に私の自意識過剰だったとしてもそこに問題はありません。

だって、自分の代わりが出来る人をクライアントの中につくるということに変わりはありませんから。皆さんもただ便利で終わらぬように、「便利を超えたなにか」を目指してください。

おわりに

士業・コンサルタントは往々にして「書類書く人」とか「お金のことどうこう言う人」とか「すぐ提案してくる人」とか経営者の道具のように思われるケースが少なくありません。でも、その考え方をしてしまうと、経営者だって誰かの道具ということになってしまいます。

最後に残るのは人間なのですから、国家資格持った専門家だけど「分野外のこういうこともできる」っていうのは全然変じゃありません。私のような無資格者だってアレコレとやりたい仕事をITやアナログに関係なくやってるんですから大丈夫です。

クライアントへの価値を継続すること、それだけで全員に恩恵ある状況を作ることができます。お金だけでなく、ブランドも教育も自己啓発も経験も何もかもを。

 


2014/10/16

コンサルティング